2007,江端さんの忘備録

某、と言っておきましょうか、ステージトーク集だけでCDが販売される某シンガーソングライターの歌手の方の話です。

私はこの人の歌も語りも大好きなのですが、この人の日本への偏狭的な語りにはうんざりしています(時代遅れの性差主義も結構げんなりしています)。

『こんなにも四季が豊かで、こんなにも美しい国が、世界の他にあるでしょうか』

あるよ。

腐る程あるよ。

いい歳こいて、まだそんな阿呆なことを言っとるのか、お前は。

と、まあ、この件(くだり)を聴く度に呟いてしまうのです。

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確かに日本も美しい国です。

長期間滞在する機会を得た北米コロラドには、ここに一人取り残されたら絶対に死ぬ、という人間の存在を全否定するかのような、絶対的な冷厳な自然の美しさがありました。

一年を過す機会は得れませんでしたが、中国大陸の奥地の朝焼け、インディス川の夕日、ネパールのチベット山脈を望む高地、フロリダのやさしく流れる風、冬のパリのモノトーン色の午後。

どこもここも、大好きな所でした。

私は、世界のどこにいたって、言葉が通じようが通じまいが、その土地を好きになり、そして十分な時間さえあれば、そこが一番良い場所だな、と思うことができると思います。

そもそも、その土地を慈しみ、大切に思う気持は、その土地の上に立ち生きている、生きとし生きる物(×者)すべての生命の属性だと思うのです。

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だから、私は「愛国心」を「育てる」という意味がさっぱり分からんのです。

あれは「育てる」のではなく、ほっといても「育つ」ものです。

上記の某歌手のように、遍く日本人の全てが日本こそが最高だと思う人になるように「育てる」というなら、これはあり得ると思います。

が、そういうのは「育てる」とは言いません。

こういうことを、普通「洗脳」と呼びます。

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(その1)

私が高校生の頃だったと思います。

ロシア(当時のソビエト連邦共和国)の領域を通過した、韓国の民間航空機がソビエト軍の戦闘機に撃墜されるという事件がありました。

後に「大韓航空機撃墜事件」と呼ばれる事件です。

今になってみると、冷戦はその後半部を終了し、数年後に終結を迎えることになっていたのですが、当時の誰もがそのようなことを予想すべくもなく、世界はこの惨事に声を失なったものです。

その後、この事件は、各国の主張が入り乱れて、何が何だかか分からない状況を呈していました。

先ずは、ソビエト側による否定、事実の隠蔽に始まり、日本の自衛隊による通信記録の傍受の公開、米国による追訴、そして、最後にアンドレイ・グロムイコ外務大臣の「大韓航空機は民間機を装ったスパイであった」という声明の発表に至ります。

当時、私は、民間人(296人)を満載した戦闘能力を全く有しない民間機を、正規軍の戦闘機が撃墜したという事実に対するショックに加え、人類として到底認容しえないこのような非道な暴力が、軍事的な観点からは『十分に認容され得る』という事実に、衝撃を受けたものです。

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大学に入学した後、私はいわゆる学寮達と共に議論を行うことを常とする「政治に極めて意識の高い自治寮」に入寮し、色々なことで(愚にもつかぬことも多かったですが)議論を闘わせたりしていました。

大学2年の夏休みに実家に帰省した私が、父の運転する助手席に座っていた時だったと思います。

どういう経緯で父とこの事件(大韓航空機撃墜事件)について話を始めたか覚えていませんが、その頃、少しだけ聞き齧った地政学の本の話を引用して、『この事件のソビエト側の対応を、認容できる部分もある』という論を展開していました。

私は、---- もし、『大韓航空機 = スパイ機』であったとすれば、または、その恐れがあったとすれば、例え、それが航空機の整備不良による事故であったとしても、ソビエトが国防の観点から、そのスパイ機の可能性がある旅客機を撃墜することは、ある意味仕方がなかったのでは------ と、自分の考えを言いました。

父は、私とそのような話をする時には、いつも嬉しそうに話の間の手を入れ、私の話がどんなに稚拙でも、その話の腰を折ることなく、最後まで聞き入れてくれたものでした。

その時の父は、いつもの父とは違う様子で、ハンドルを握りながら、フロントガラスを見つめながら言いました。

『智一。そうではない』

私は、少し驚いて父の横顔を見ました。

『航空機が民間機である以上、如何なる理由があっても、民間機を撃墜するということは許されない』

私は意外な感じを受けながらも、父に反論しました。

『もし、韓国機がソビエトの領空をスパイ目的で侵犯しており、国益を脅かすことが明らかであったとしても?』

父は、息子にキッパリと言いました。

『仮に、その航空機の機長を含め、また仮に乗客のほとんどがスパイであって、悪意の目的をもって、領空侵犯をしたとしてもだ。

そこにたった一人の無関係の乗客が乗っているのであれば、どのような者であれ、その命を奪う行為を正当化することはできない』

唖然としている息子に、父は静かに続けました。

『それが「人間」と言うもの、「命」と言うものではないか?」

それは、恐らく、沢山の命が奪われる現実を間の当りにしてきた者だけが持ち得る、魂から絞り出された言葉だったのだと思います。

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私は、サイドウインドウの方を向いて、そのまま黙り込みました。

胸の中に広がる熱いものに突かれて潤んできた眼を、父に見られたくなったからです。

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(その2)

私は2000年から2年間、仕事で米国に在住する機会を得ました。

この時、私が幸運だったことは、日本からチームとして参加することになり、チームのメンバの内、所帯を有するものは、家族とともに米国に滞在することになったこと。

そして、その家族の方々がいずれも気持よ良い方ばかりで、多くの交友を深める機会を得ることができたことでした。

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ある休日のこと、私は自分の担当していたプログラムの数行を修正する為に、休日に家族をつれて職場に出ました。そこで、私の先輩とその奥様に出会いました。

奥様は、当時、皇太子のご令嬢の誕生を、インターネットで確認する為に、先輩とともに職場に来られたとのこと。 (コロラドの少くともフォートコリンズという地域には、日本語向けのテレビ放送はなかった)

その時、私は『はあ、そうですか』としか応えられませんでした。

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私は、一度、無礼を承知で、奥様にお伺いしたことがあります。

『芸能人の誰かが結婚したとか離婚したとか、そういう週刊誌に掲載されるような内容は、興味の対象になり得るものでしょうか』と。

これに対して、奥様は、「トム(Tom)」(赴任先では、全員がこのような愛称で呼び会うことが、赴任先の会社のルールとして統一されていた)と、私をお呼びになられた後、次のように続けられました。

『あなたは、自分の大切な家族や友人が、幸せになったり不幸になったりした時に、それを「興味の外」ととして置いとけるものでしょうか?』

『いえ、そのようなことはないと思います。家族や友人を思い、同じように、喜び、または悲しむと思います。また、そのような人間で在りたいと思います』

『私も同じです。私も友人達の不幸に悲しみ、幸福に喜んでいるだけです』

しかし・・・と言いかけた私を制して、奥様は続けられました。

『違いがあるとすれば、私はその友人を良く知っているのですが、逆に、その友人は私のことを全然知らない、という、ただそれだけのことなのです』

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私は、このパラダイムを提示された時の衝撃を忘れられません。

冗談でも、揶揄でもなく------、私は今でも、この奥様のことを尊敬できる人々のお一方であり、心から敬愛すべき対象であると、固く信じております。

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません。)

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江端さんのひとりごと

「アフター・ザ・フェスティバル」

2006/8/20

意外と思われるかもしれませんが、実は私は幼少の頃、8年程ピアノを習っていました。

中学一年の時、ピアノを辞めたたのですが、その時は、私の人生の5大歓喜の1つと言っても良いくらい、嬉しかったものです。

毎週火曜日がピアノのレッスンの日でしたので、30年を経た今であっても「火曜日」と聞くだけで、悪いことが起こるような気がする程、忌まわしい気分になります。

比して、水曜日とは----ああ、なんて美しい響きの曜日でしょうか。土曜日や日曜日の比ではありません。次のレッスンまで6日もある人生最上の曜日、それが水曜日でした。


『そんなにピアノが嫌いなら、どうして8年もピアノをやってきたんだ』と、多くの人が私に尋ねました。特に8年もピアノの練習に出資してきた母のショックは、相当なものだったように思います。

母は別にピアノの練習を私に強要していた訳ではなく、8年もピアノのレッスンに苦しんでいた私の真意を図りかねていたようです。

母の疑問はもっともです。なぜ私は、ピアノの練習を続けてきたのか。

理由はただ一つ。「女の子にもてた」からです。


例えば、音楽室の清掃の時、クラスの女子がピアノの前で「江端~、ちょっと弾いてみてよ」と言い出そうものなら、もう勝ったも同然。

面倒くさそうな顔をして、教本の曲をさらっと弾いてみせ、時折、有名な曲、ベートベンの「エリーゼのために」やら、リストの「ハンガリー狂詩曲」の触りの辺りを軽く流していると、すでに5人以上の女の子が、ピアノの周りにはべっています。

女の子達のリクエストに応えて、流行りのアニメソングを伴奏付きで軽く演奏してみせると、驚きと感嘆の嬌声が上ります。

そのような尊敬の眼差しの中で、突然演奏を打ち切って、「さあ、みんな、掃除、掃除」と言って、早々にピアノから颯爽と切り上げる私。


・・・今、こうやって書いていてつくづく思うのですが、本当に、いけすかない、むかつくガキですね。叶うものなら、この自分の手で、この生意気なクソガキを張り倒してやりたい。

まあ、ともあれ8年もピアノを弾いていると、上手い下手はともかく耳で一回聞けば、主旋律くらいは軽く弾けるくらいにはなります。別に特別な才能はいりません(同様の体験者、多数)。


では、8年のピアノの成果は、今の私にどのように役にたっているかと言うと、

(1)カラオケで音程を外すような歌い方をすることは無い

(2)他人のピアノの演奏の出来にケチを付けることはできる

あとは、

(3)娘(7歳)の前で、アニメ主題歌の旋律を片手で弾いてみると、キラキラ(+ウルウル)した目で『パパって、すごーい』と言われる

くらいでしょうか。

今となっては、指が全く動かず、何も弾けなっています。

1日休めば3日戻り、3日休めば1月戻る、と言われるピアノの世界で、30年近く何もしなければ、何も学ばなかったのと同じでしょう。

8年間の母の息子へのピアノの出資は、一体何だったんでしょうか。

もっとも、息子がピアニストなんぞになろうなどとは思ってもいなかったでしょうから、この辺のメリット(上記(1)~(3))が妥当なのかもしれませんが。

閑話休題


今年(2006年)のワールドカップの決勝の、まさにその日、私は部長に随伴して、フランスのモンパルナスという街にいました。サッカーファンの部長に、街のスポーツカフェに連れ出されるまで、ウインブルドンの決勝をテレビで見ていました。

私はスポーツ観戦そのものはあまり好きな方ではなく『見る時間があるなら、自分でプレイした方が良い』という性格ですが、テニスに関しては、少しだけ齧ったことがあるので、ウインブルドンのプレーヤ達が、いかに凄まじいプレイをするのかを理解することはできるのです。

誰が勝とうが負けようが、興味はないのですが(というか、最近のテニスプレーヤの名前、知らないし)、その「神の技」を見るのは好きです。ですので、テレビの前で、「おお!」「すごい!!」とか叫んでいることはよくあります。


さて、この理屈を展開すれば、8年もピアノを続けてきた私であれば、当然プロのピアノの演奏にはウンチクの一つもたれることができそうなものです。

しかし、私がオーケストラの演奏に出かけたのは、小学生の時に一回だけ。後は、大学時代に、年に2回のペースで付き合っていた嫁さんを誘って、大学のグリークラブの「メサイヤ」を聞きながら、一緒に爆睡していた記憶くらいしかありません。


さらに話は変ります。

最近私は、新聞の書評に紹介されていた『のだめカンタービレ』というコミックの収集を始めました。

『のだめカンタービレ』とは、女性漫画誌「Kiss」(講談社)で2001年から連載されているクラシック音楽をテーマとした二ノ宮知子作の漫画作品です。

「嵌る(はまる)」という程ではなかったのですが、嫁さんも楽しく読んでいたようなので、昨日全巻を揃えました。

ラフマニノフ、リスト、ブラームス、ブラームス、もちろんベートベン、ショパン、そしてモーツアルトのピアノソナタ(注:ここでは「ピアノ独奏」の意味で使います)や、オーケストラ演奏のシーンが山程でてくるので、私も久しぶりにクラッシック音楽を聞いてみようか、という気持になってきました。

そこで、先日、レンタルCDショップでモーツアルトのピアノソナタのCDを試聴してみました。

自分でもびっくりしたのですが、

吐きそうになりました。

幼少の頃の「魔の火曜日」の記憶がよみがえり、全身全霊でモーツアルトを拒否しているようです。

このようなトラウマを作るために、ピアノをやってきたのかと思うと、甚だしく馬鹿げたことと言わざるを得ません。習いごとは、「楽しさ」をベースとしなければならないということを、今更ながら思い知った次第です。

ショパンのピアノソナタは、曲によっては、頭が割れそうなほど甘いアメリカのケーキを思い出させますし、チャイコフスキーのあの名曲「ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23」に至っては、第一楽章の最初の3分8秒以降の演奏は、スキップして次の曲にうつる、ということを平気でやる人間です。

クラッシックファンが聞いたら、卒倒しかねない暴挙でしょう。


ところが、こんな私にも、たった一曲だけですが、カルトと言って良い程に「嵌った(はまった)」演奏がありました。

私が学生の頃、ちょっとしたきっかけでクラッシックのCDを手に取ったのですが、そのきっかけとは、『ふーん、ショパンもピアノ協奏曲なんか作っていたんだ』という程度のものでした。

『ショパンピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11第1楽章』

これを聞いた時の衝撃は、文言で尽し難いものがありました。

演奏が始まって4分くらいに入ってくる、マルタアルゲリッチのピアノのソロのパートの美しさ。

その後、超速で演奏される正確で力強く繊細で、砕け飛び散る氷の一粒一粒が、全空間に対して放射するような美しいピアノの音。

11分ころから展開される高域パートの演奏はロンドンフィルの演奏と複雑に絡みあいながら、12分45秒から13分のピアノ独演の部分でクライマックスを迎えます。

私はこの部分を始めて聴いた時には、脳天から雷を喰らったかのような衝撃を受けたことを覚えています。

目を瞑ると、マルタアルゲリッチの両の手が、ピアノの鍵盤の端から端まで、ブリザードの中の突風のように、突き上げ、轟き、止まり、そして流れていく様子が目に浮ぶようでした。

安下宿の部屋にある安いステレオコンポの前で、暫く呆けている、大学3年生の自分がいたのを覚えています。


アフター・ザ・フェスティバル----後の祭り

時機を逸して後悔の念を表す言葉。手遅れのこと
ピアノとは、こんなにも美しく人に感動を与えるものだったのに、なんで、私は「女の子にもてるための技能」ぐらいの認識しかしなかったのかな~~~、と。

しかし、そもそも私の才能程度では、どんなに練習しても知れていただろうとは思いますから、「後の祭り」は、明らかな誤用。

第一、モーツアルトのピアノソナタを聞いて吐き気をもよおすような奴に、どんな未来もあろはずがありません。


取り返すことが完全に無くなった頃に、捨て去ったもののが見えてくる、という話は良く聞きます(失敗した恋愛の話では、ほとんどがこんなのばっか)。けだし「失い続けること」自体が人生の本質の一つなのかもしれません。

今、私は、レンタルCDショップで見つけた、マルタアルゲリッチのピアノ協奏曲(ショパン、リスト、ラベル、チャイコフスキー(そしてモーツアルトも))を全部借りて、パソコンに叩き込んで、仕事をしながら聴いております。ちょっと幸せな気分です。

大した才能もなく、昔も今も変わることなく、流れるがままに禄を食むだけの日々をただ生きているだけの私ですが、それでも『「祭の後」を楽しむ』力だけは、私の中に残っていてくれたのだろうと思います。

ステレオコンポの前で呆けていた過去の日々や、音楽を聞きながら特許明細書を書いている今の日々は、あまりクオリティの高い人生ではないかもしれません。

しかし、それも決して悪い人生ではないと思います。

(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおいて、自由に転載して頂いて構いません。)

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江端さんのひとりごと
「江端式自律神経訓練法」

2006年6月1日
https://www.kobore.net/sleeplessness.txt

2023年9月3日
アルコール摂取による不眠解消に関して取消線(これは本当に危険。"アルコール依存症"直行パスです)

私は、生まれつきの不眠症でして、大学の時代から特に就職直後は酷い状態でした。

研究員から主任研究員になってからは、さらに高度な任務や海外出張の連続、またその他の勉強などが重なり、強いストレスの日々で、体と心が疲れてくると眠れなくなり、終日体が鉛のように重く感じて、辛い日が続くことがあります。

私の不眠は、寝付きは良いのですが、不十分な時間で目が覚めてしまう、いわゆる「早朝覚醒症候群」というものに分類されるもののようです。

これは、ストレスや疲労によって引き起こされる症状で 体内時計が狂ってしまい、早朝例えば 3時半から 4時半くらいの時間がくると必ず目は覚めてしまってもう眠れなくなってしまうものです。

しかし、このような状態が連日続いては、疲れが溜り、仕事になりませんので、私なりに長い時間、色々研究を重ねてきました。

今日は、このような早朝に目が覚めて寝れなくなった時であっても、「寝ないままでも、かなり疲れが取れる」方法について、ご教授したいと思います。

1. 自律神経訓練法

寝る前、または早朝に目が覚めてしまった時に、団やベットにあおむけになり、一度背伸びをして息を吐きながら、体の力を抜いて下さい。

軽く目を閉じて「気持ちが落ち着いている」という言葉を心の中でゆっくり繰り返します。

無理に気持ちを落ち着かせようとしたり、雑念を追い払おうとせず自然に「気持ちが落ち着いている」という言葉を繰り返します。

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不思議なもので、とにかく頭の中で言葉を繰り返すだけで、体が緩んでくるようになります。

私の場合は、

「気持がのーーーんびりしてくる」、
「心がゆったーーりしてくる」、

も加えて、気分が落ち着いてくるまで、頭の中で言葉を繰り返します。

気分が落ちついてくるまで、1時間でも2時間でも、あせらず、とにかくのんびり繰り返すようにしています。

さらに、頭の中で、誰もいない真っ白な雪原(18歳の時に、一人で旅をした北海道の雪原など)や、静謐なお寺の中に安置された仏像(奈良の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像)をイメージすると、気分が落ちついてくる感じを獲得しやすいようです。

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気分が落ち着いてきたら

①「右腕が重たい」この言葉を心の中でゆっくりと繰り返します。

この時、右手全体に注意をむけてください。「右手が重たい」を繰り返しながら、その間時々「気持ちが落ち着いている」をいれましょう。

始めは重たい感じを得られませんが繰り返していくと、だるいようなしびれたような感じが得られます。

私の場合、自分の腕がコンクリートになっていくイメージを頭の中に描くことで、重量感を獲得できるようになります。

イメージの作り方は、人それぞれです。

②「左腕が重たい」と心の中でゆっくり繰り返し左腕全体に注意を向けましょう。

左腕の重たい感じを得られるようになったら、次は両腕です。同じ要領で、以下を行って下さい。

③「両腕が重たい」
④「右足が重たい」
⑤「左足が重たい」
⑥「両足が重たい」

ここまでが、重量練習です。

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個人差はあると思いますが、私はこの辺りから、全身痙攣が始まります。

まず頭がガタガタと震え出し、足や腕までもが一斉に震えてきます。

時々、体が布団から跳ね上がるほどの痙攣がおこることがあります。

ストレスの高い仕事が続いた後ほど、この痙攣の度合いは酷くなります。

状況を知らない人が見たら、さぞ恐しい光景だと思いますが、これこそが、緊張が開放されつつある状態なのです。

外界からの刺激(ストレッサー)に対して反応する自律神経系を抑える、副交感神経の働きが顕著になってきた状態になっている証拠です。

副交感神経は、交感神経と相反する作用をもち、生体内のホルモンなどを制御します。

副交感神経が優位な状態になると、全身がリラックスし、胃液や唾液の分泌は高まり、血管は拡張し、手や足が温かくなります。

しかし、この痙攣は長いこと続かずに、長くても数分で終ってしまいます。

滅多にないですが、理由もなく(悲しみも怒りもなーーーんにもなくても)涙がでてくることもあります。

この場合も、自分が泣いているのに任せ、涙が出てこなくなるまで、泣き続けるようにしています。

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次は温感練習に入ります。

①「右腕が温かい」

②「左腕が温かい」

③「両腕が温かい」

④「右足が温かい」

⑤「左足が温かい」

⑥「両足が温かい」

ここまでマスターすれば心身ともにかなりリラックスできます。

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私の場合、吹雪の中で凍傷しかけになっている悲惨な状況をイメージした後、暖かい露天風呂に、手の指先からゆっくり浸していく状況をイメージします。

今迄、完全に血液が止っていた指の先に血がめぐりだすイメージは、手の先が痺れる程の温感を獲得できます。

腕までお湯に浸した後は、今度は凍りついた長靴と、凍りついた靴下を足から引き剥して、ゆっくりと片足づつお湯に浸すイメージをします。

最後に、全身がお湯に解けていってしまうイメージをします。

これでリラックスできますと、軽い催眠状態のまま(つまりボーっとしたまま)で、相当な時間が過ぎてしまい、実際に眠れなくても、かなりの疲れが取れてしまいます。

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大抵の場合、私はここまでしかやりませんが、時々以下の練習も加えます。

心拍調整練習

「心臓がとても静かに、ゆっくり打っている」を繰り返します。

心臓の脈拍を「1・2・3・・・」と数えて、それを少しゆっくりめに数えたりしてもいいそうです。

呼吸調整練習

「とても楽に、静かに呼吸している」を繰り返します。

呼吸は自分の意思で調整せず、暗示の効果で自然に呼吸がゆっくりと静かになるようにします。

腹部温感練習

お腹に意識を向けて、そこの部分が温かくなっている感じをイメージします。ただ「お腹が温かい」と頭の中で繰り返すだけでも良いです。

頭寒練習

「額が涼しい」と繰り返す。額が涼しくなっているイメージをします。

これは、ヒエピタを貼った感じをイメージすれば良いでしょう。

温感練習と同時に行っても良いです。

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一般に、自律神経訓練法(じりつしんけいくんれんほう)の最後には、「打ち消し動作」というのが必要ですが、不眠症の対策で使うのであれば、この「打ち消し」はスキップして構いません。

目覚まし時計がなるまで、ぼーーっとしたままで構いません。

ただ、昼休みとか仕事中に、この訓練を実施した場合には、催眠状態のままになってしまい、階段からぶち落ちてしまう可能性もありますので、一応「打ち消し動作」についても記載しておきます。

両手を上にあげて伸びをしたり、手をグーパー、グーパーと閉じたり開いたりさせたり、脚の屈伸をすることで、催眠状態から復帰できます。

2. アルコール摂取

自律神経訓練法(じりつしんけいくんれんほう)は、眠れなくても疲れが取れるので、これが一番良い方法なのですが、催眠状態に入るまでの手続が面倒です(自己暗示を繰り返すのは結構時間がかかる)。

あと一時間だけを早急に眠ってしまいたいのであれば、最も簡単な方法は、アルコールの摂取です。

私の場合、早朝に目が覚めてしまったら、そそくさと冷蔵庫に向かい、ビール(350ml)を一気に飲んでしまいます。

言うまでもありませんが、アルコール摂取ができない人は絶対にやってはなりませんし、お酒に弱い人も駄目です。

状況に応じて、ウイスキーの水割り、日本酒の熱燗などもあり得ますが、くれぐれも自分のアルコールに対する耐性を認識してからやって下さい。

但し、早朝から飲むという行為は、体にも良くありませんし、気分的にも荒んできますので、程度を考えて行うのが良いでしょう。

ちなみに、これでアルコール中毒にでもなろうものなら、単なる馬鹿です。

3. 睡眠薬投入

絶対的に進めませんが、早朝から睡眠導入剤や睡眠薬を飲んでしまうという、極めて乱暴な手段もあります。

この睡眠薬を上記のアルコールで流し込むという、最低最悪の手段もありますが、この方法だけは開示できません。

私は、自らの命をかけて、この実験を行い、自分なりのスタンダードを確立しました(例えば、睡眠薬A + ビール350ml、体調状態、起床までの残時間 等の複雑なパラメータによる実行)が、この手段が汎用的なものでないことは言うまでもありません。

命をかける覚悟のない人がやるものではありません。

4. 最後に

不眠症は大変辛い病気ですし、不眠症でない者からは決して理解されることのない、孤独な病気です。

「神経質」だのと勝手なことを言う奴は、その場で殴っていいです。

少なくとも、私は認めます。

取り敢えず、不眠で苦しい人は、上記の自律神経訓練法を試してみて下さい。眠れなくても、疲れが取れるというのは、かなり人生を楽にしてくれます。

それでも改善しないのであれば、世の中には精神科という専門の医者が存在します。

これを使わない手はないと思います。

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いずれにしても、不眠で苦しむ人々のほぼ全てが、有能で、真面目で、責任感があり、正確な仕事を継続し、困難な任務の遂行を果しています。

そして多くの場合、性格が良く、社交的で、美人または美男です。 (私は不眠症です)。

このような不眠で苦しむ人々の苦しい日々の貢献のおかげで、「いーかげんで」「中途半端で」「ろくでもない阿呆」を包含しているこの社会は、かろうじて成立しているのです。

不眠で苦しむ我々こそが、この社会の中枢であり基盤であるのだという確固たる紛れもない事実を、今こそ、胸を張って語ろうではありませんか。

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、転載して頂いて構いません。)

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江端さんのひとりごと
「江端の『ハレ』の定義」
   2004年11月26日
<後輩夫婦の旦那からのメール>
Aです。
台風の上陸に合わせるかのように,妻が、男児を出産しました。
予定日を大幅に過ぎており、不安だったのですが、母子ともに、健康状態は良好です。
メールでの簡略式で申し訳ありませんが、とりいそぎご報告まで。
</後輩夫婦の旦那からのメール>
<江端のリプライ>
江端です。
おめでとうございます。
最近、「ハレ」が少ないところに、このようなTypicalな「ハレ」をご報告を頂き、ありがとうございます。
# ちなみに、江端の「ハレ」の定義
  • 結婚(できちゃった結婚なら、ハレ度アップ)
  • 彼女、彼氏の出現
  • 出産
  • 家、マンション、車を除く、意外な高額商品の購入(個人による電子顕微鏡、無人島の購入等)
  • 学位、昇進、特許、資格取得を除く、意外な賞の受賞等(人間国宝指定、文化勲章授与、オリンピックメダル取得等)
  • その他、江端が「ハレ」と認めるもの
ところで、誕生したお子さんだけでなく、奥様が生み出した特許発明「特開2003-XXXXXXX」の活用検討で、頭を抱えております。
生み出したものは、子供であれ発明であれ、慈しんで「両親」協力して育てましょう。
自分の子供に、「出願審査請求→否」と返事してはなりません。
</江端のリプライ>
(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません)

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社内報リレー随筆

「人の言うことを聞かない能力」

2004/01/10
[その1]

インターネットが、電話線で細々と繋がっていた頃、私は未来のインターネットを夢想して、張り切って特許明細書を書いてましたが、私より数段偉くて頭の良い人から『意味がない』と論理的に説得されてその執筆を止めてしまったことがあります。

そして今、その発明を他社が実施しているのを悔しい思いで見ながらも、今なお、その論理を論破できない自分がいます。

私が心の底から悔しいと思うことは、世間がなんと言おうが、論理的に破綻していようが、私が信じるものは絶対である、という狂信的な思い込みを持ち得なかった自分に対してです。

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[その2]

数年前に私が結婚を決意した時、私の回りは一斉に反対の声を上げました。

私に結婚を思い留まらせる為に合宿まで企画されました(本当)。

『写真のこの娘は堅気の娘ではないか。暗黒サイドのお前とは所詮住む世界が違う!』(暗黒サイドって何?)。

実際、その当時彼女自身、本当に私と結婚したかったかどうかも疑わしく(と言うと嫁さんは『何を言うの!たとえ、あなたが売れない場末の芸人であっても、私は・・』と言い返すのですが)、私は彼女の意見すら十分に聞かずに結婚に踏み切りました。

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[結言]

私達は自立した社会人として、人の話をきちんと聞かねばなりません。

しかし時として「人の話を聞かない能力」を問われるものが世の中に2つだけあります。

それが「特許」と「愛」です。

お忘れなきよう。

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江端さんのひとりごと

「英会話スクール出逢い機関論」

2002年12月24日

特許明細書が書き上がりません。

最近、クリスマスの思い出と言うと、特許を執筆していた記憶以外にありません。

時期的にも、下期の特許提出の時期にぶつかることもあって、私にとって、「クリパ」と言われれば、クリスマスパーティなんぞではなく、クリスマスパテント(特許)です。

本当は、このような愚にもつかない駄文を書いている間に、明細書の第二の実施例を執筆しなければいけないのですが、システム構成図を書き直すのが面倒なのです。

なんとか手を抜けないかと、現実逃避の考案をしている時、私の駄文執筆能力は、最高潮に達するようです。

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嫁さんの気質や思想やポリシーに影響されるところ大なのですが、私は、結婚してから色々なことから解放され自由になり、人生が楽に、そして楽しくなりました。

また、嫁さんとは関係なく、結婚というシステムの観点からだけでも、いくつかのことから自由になったことがあります。

その中の一つに、「クリスマス脅迫症候群」とも言うべきものがあります。

この時期、駅前、商店街、デパート、繁華街、どこにいても出現する緑と赤の装飾、巨大なクリスマスツリーの電飾イルミネーション、そして、どこまでもしつこく追いかけてくるクリスマスソング。

会社の帰りに、夕食のコロッケを買っているところに、ユーミンや山下達郎なんぞ、出現させるんじゃない(ちと古いが)。

若い頃、私は、

一人で街を歩いたら、いかんのか!

と怒鳴りたくなる衝動にかられていました。

そのようなものから逃げる為に、イブの夜に嫁さんに担保をお願いしていた若い頃の自分は、愚かだったと思います。

だが、この青春の愚かなプロセスなくして、今の家庭や家族がないのも、また真実です。

その時、若さ故の愚かさを、シニカルに笑っていただけなら、今、食卓を囲んで家族で笑っていることはできなかったでしょう。

逆説的な結論ではありますが、「クリスマス脅迫症候群」によって「クリスマス脅迫症候群」から離脱する、というこの一連の理論は、物質が他の物質に変化するプロセスで、一時的に高エネルギー状態に至らなければならないという「励起状態」を思い起こさせます。

いずれにしても、今の私には、街中のクリスマスソングも、電車の中で若い恋人達がいちゃつく様も(そして愚にもつかない彼等の会話も)、まるで、梅が咲きほこる雅な茶会の席で、俳句をしたためながら、ホトトギスの声を遠くに聞くくらい、気になりません。

ともあれ、こういう下らない脅迫観念から離脱できただけでも、結婚は私にとって意義があったと断言できます。

閑話休題。

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実際のところ、一体どれ程の効果があるのだろうか良くわからない「英会話スクール」ですが、この不景気日本にあって、しぶとく生き残っているようです。

先日、先輩と話していた時に、「英会話スクール」の目的は、勿論英会話の向上にあることの他、「異性と出逢う場」としての役割もあるそうです。

なるほど。

そういうことなら、あのふざけた高価な授業料も、投資としてはむしろ安い。

個人を主体とする現代の社会構造上、異性と出逢うチャンスがないと言うのは、至極当然のことではあるのですが、出逢いを求めている当の本人達にとっては、深刻な問題です。

近い未来、自力で彼氏や彼女を見つけてきた者は、会社や地元の自治会から表彰されるような未来がくる、と私は真面目に考えております。

実際、政府が国営のお見合い期間の設立に動いています(2002年11月14日の朝日新聞より)

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これは本当の話ですが、私は10年も前に、日立のスーパーコンピュータのアプリケーションとして「お見合いシステム」を提言していました。

スーパーコンピュータの性能と言うと、円周率の計算くらいしかやることがないように思われていますが、これからのスーパーコンピュータはスペックは、MIPSやディスクアクセス速度、トランザクション処理数などではありません。

目標は、単位時間あたりに、どれだけの大量のカップルを生成させることができるか、そして、そのカップルをどれだけの時間維持させえるか、さらには、定着率(結婚率)などが競われるようになる、と予言していました。

MTTR(Mean Time To Repair 平均修復時間)は、システムの平均復旧時間から、カップルの平均復旧時間へと解釈が変更され、MTBF(Mean Time BetweenFailure 平均故障間隔)は、言うまでもなく、カップルの平均交際停止間隔と解釈される訳です。

こんな風に考えていくと、「システム」と「恋愛」は恐しく良く似ていることに気がつきます。

セキュリティの観点から言えば、機密性、可用性、抑制機能、予防機能、回復機能等、メンテナンスの観点からは、初期不良、経年劣化、リプレース・・・

まあ、この辺で止めておきましょう。

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結婚の問題とは関係なく、異性と付き合うことは、それ自体が人生を豊かにするし、そもそも楽しいものです。

勿論、苦しさや面倒も半端じゃありませんが。

この機会を、英会話スクールが提供しているのだとすれば、大変コストパフォーマンスな「場の提供」と言えるでしょうし、次世代の新しいコミュニティ創成の場として大変有望なものであると、私は考えました。

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「そうかな?」

私が得意げに、「英会話スクール出逢い機関論」を唱えていると、嫁さんが異議をはさんできました。

私 :「どうして? 出会い系のメールやWebなどに比べて、身元や面が割れる分、健全で安全で安心だし、勉強で集うと言う点も、さらに高品質のフィルターを通っているとも解釈できるぞ」

嫁さん:「『出逢う』為には、男性と女性が、少なくとも同じクラスにいなければいけないよね」

私 :「そりゃ、まあね」

嫁さん:「で、まあ当然、英会話を始める人なら、初級コースから入会するよね」

私 :「そうだろうね」

嫁さん:「自然に無理なく親しくなるためには、それなりに時間もかかるよね」

私 :「あからさまに、『異性を探しています』てな感じの奴なんて、いやだろうからな」

嫁さん:「英会話クラスの初級コースなんぞに、うだうだといつまでも居残っている男ってことは、『私には将来性がありませんよ』と宣言しているようなものじゃない? 私なら、私と同じクラスにいるような男は嫌だな」

私 :「・・・あっ」

盲点でした。

確かに、そんな将来性の見えない異性を探しすために、金を出しているとしたら、投資以前の問題です。

金をドブに捨てているようなものです。

嫁さんの提示したアンチテーゼは、英会話スクール以外にも、テニススクール、その他のスクール全部に適用が可能のようです。

いつまでたっても、初級コースから抜けられない野郎と付き会いたい女性は少ないだろうからです。

むしろ、検討除外の明確な指針となってしまう恐れもあります。

まあ、別の異性へのアクセスのポインタくらいにはなるのかもしれませんが。

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「出逢い」が難しい時代になりました。

「出逢い」を構築するために、自分ではない、不本意な自分を演出する必要性に苦しんでいる人も多いと思います。

口ばかりが上手くて、綺麗に装うのが上手い奴だけが、出逢いの門に立てるのだろうかと問われれば、私は自信を持って答えることができます。

その通りです。

ですから、「一緒になって貰うために、地に這いつくばい、泥をすすり、自尊心を投げうって、彼女の足を舐めるような屈辱を経て、結婚を承諾して貰った」(http://www.kobore.net/mail8.txtより抜粋)と言う、私の尊敬する人の言葉が、私の胸を熱く打つのです。

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クリスマスイブの今日、私より皆さんに、新約聖書の「マタイによる福音書」7章13節を贈ります。

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きくその道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭くその道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」

最後に、江端による福音書、第3節A項の第5号にて、今日はお別れしたいと思います。

皆さん、よいクリスマスを。

「狭い門から入る必要なんぞないし、できれば避けたいのは山々だが、本当の自分を好きになってくれる人と出逢う為の門は狭い。天国の門なんぞお話にならんくらい狭い。ナノテクノロジーですら解決できないほど狭い。とにかくうんざりするほど狭い。それを見いだす者は、かなり運が良い」

(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおいて、自由に転載して頂いて構いません。)

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江端さんのひとりごと
「それでも貴方は特許出願したいですか?」
(出展はこちら → https://www.kobore.net/reject.txt)
(※)この文章は2002年における特許法をベースとしております。その後、何回も法改正が行われておりますのでご注意下さい

 

特許関連の資料が山積み(国内拒絶1、米国拒絶1、ヨーロッパ拒絶1、米国継続出願2(内、一つは面識のない日立のOB))になっており、自分でも何が何だか分からない状態になっております。

景気よく調子にのって、自分のアイデアを世界各国に特許出願すると、数年後に、各国から拒絶通知書の嵐となって戻ってきます。

特許出願するだけで、

―― 一生、遊んで暮せる

などという夢みたいなことを考えている人も多いようですので、その夢、この機会にしっかりと打ち砕いて差し上げます。

まず、「特許出願」をします。

特許明細書の記載方法はとても面倒で、決まりごとの嵐です。

同じ発明が、出願の一秒でも前に誰かによって出願されていたら、その出願はその時点でゴミとなります。

ゴミとならないためには、その調査をしなければなりません。

特許法成立以来の全ての膨大な出願済みの特許を*全部*調べなければなりません(「公知例調査」)。

さて、この段階で該当する公知がなかったとします。

しかし、出願された特許は、1年半の間公開されませんから、未公開の特許の中に、同じ特許があっても、やっぱりパーになります。

さて、この出願した特許は、3年間ほっておくと、自動的に消滅し、何もなかったことになります(出願を取り下げたと見なされる)。

特許出願を、「特許権」にするには、3年以内に特許庁に対して「審査請求」なる請願をしなければなりません。

審査請求をすると、ほぼ100%、特許庁から「この発明は受付られん!」と拒絶を打たれます(「拒絶通知」)。

この拒絶を取り下げて貰うために、特許請求の範囲を小さくしたり、意見書を提出したりしますが、なお受けられないと言われれることがあります(「拒絶査定」。

拒絶査定を取り下げて貰う為には、「拒絶査定不服審判」という裁判フェーズに突入します。

こうなると舞台は、東京高等裁判所に移ってしまいます。

この裁判で、差し戻し命令が仮に勝てたとしても、別の内容で拒絶を打たれたら、もう上記の「拒絶通知」からやりなおしとなります。

この闘いのフェーズを越えたら「設定登録」、すなわち特許権の発生です。おめでとうございます!! ・・・と言う程、甘くはない。

設定登録から6ヶ月間、この特許権を叩き潰す新たな闘い「特許異議申立」と言うフェーズが始まります。

この申立は、競合会社のみならず、赤ん坊でも、その辺の子供でも、あなたの特許を潰す権利があります。

卑近な例ですが、あなたの特許に記載した発明と同じ内容を、例えば、近くのオバチャンが井戸端会議で話題にしており(「公然知られた状態」)、実際にオバチャン連中を集めて自宅で試していた(「公然実施された状態」)と言うことを、別のオバチャンがメモしていたという事実があれば十分。

そのメモを特許庁に送りつけるだけで、あなたの特許権は、確実に潰されます。

これを覆す為には、「特許異議申立無効審判請求」と言う審判の請求を経て、再び裁判を始めることになります。

やっと闘いが終って、掴みとったあなたの特許権。

これでようやく安泰かと言うと、次の闘いのフェーズは、「特許無効審判請求」。

あなたの特許を叩き潰し、安心して製品を作りたい会社が立ち塞がります。

これに立ち向かう為には、自らその無効の内容を訂正する「訂正審判請求」でこの攻撃を交す必要があります。

この訂正審判とは、自分の特許権の一部を、放棄するものです。

すなわち、特許権という権利自身が生き残るために、自分の腕や足を、自ら日本刀で切り捨てるようなものです。

――  特許権とは、死ぬことと見つけたり

肉を切らせて、骨を断つ。

特許権の闘いとは、ダンディズムの極致とも言えましょう。

特許権を生き永らせたい特許権利者と、可能な限り早く抹殺したい第三者の闘いは、特許権の寿命たる20年の間、いついかなる時でも発生しえるのです。

さて、ここまでの話は、単に、特許権を潰そうとする敵をかわすためのものだけです。

皆が、特許権に群がるのは、それでお金を儲けたいと思うからだと思いますが、はっきり申し上げておきましょう。

特許権でお金が取れる期待値金額は、マクドナルドでハンバーガの売り子をやっているより、・・・、いやいや、もっと正確な引用をするのであえば、夜中に駅の構内で、ギター片手に下手糞な歌を歌うような阿呆な若者が、おひねりを貰うための空き缶に入れられる小銭の金額より、ずーーーーーーーーーーっと少ないんですよ。

# あの程度の低い歌唱力で、金をカンパして貰おうという厚かましさは、体、どこから来るのだろう。逆に金を払って貰いたいくらいだが。

もしあなたが、あなたの特許権で儲けたいと思うのであえば、*あなた自身*が、その特許を侵害している人や会社を見つけなければなりません。

あなた以外の誰も見つけてくれませんし、邪魔こそすれ協力なんぞ絶対にしません。

特許侵害を見つけて嬉しいのは、特許権者のあなただけ。

他の人にはどうでも良いことですから。

仮に見つけたとしても、今度は特許侵害の訴訟を*あなた自身*が起こさねばなりません。

これを特許侵害をしている人の立場から述べてみると「例え特許侵害をしていても、見つからなければO.K.」と言うことです。

実際、見つかり難い内容の発明なら、侵害を発見する可能性(顕現性)は、ずっと小さくなります。

例えば、プログラムの中のアルゴリズムの中にある特許侵害を、ソフトウェアを使っているだけで見い出せる人がいたら、その人は人類ではなく、神様でしょう。

こんなものは無理というか無茶です。

ですから、特許発明としては、顕現性の優れた、例えば「ゴキブリホイホイ」の発明とかの方が、断然優れているわけです。

とどめに、--- 実際のところ日本においては、これが大問題なのですが---

日本国の特許権者の勝訴率は、欧米のそれに比べてもの凄く小さい。

―― 闘えば、必ず負ける

と言うくらい、特許権者サイドの勝訴率は低いと聞いたことがあります。

今一度、あなたにお尋ねします。

―― それでも貴方は、特許出願したいですか?

(後略)

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江端さんのひとりごと「メールのやり取り(その8)」

地平、江端共著
大学の研究室の後輩、地平茂一氏とのメールのやりとり

--------------- 地平氏から結婚の御報告 ----------

皆様、ご無沙汰しております。 地平でございます。 (まさかに忘れた、っちゅう人はおられないとは思うのですが)

年の瀬も押しつまってまいりました今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

実は風のたよりで聞かれた方もおられるかも知れませんが、長年の独身生活についにピリオドを打ち、結婚することになりましたので、ご報告させて頂きま す。

と言っても、実は入籍は先月(11月3日)に済ませておりまして、今はもう二人で暮らしております。(いわゆる披露宴的なものは、身内中心でささやかに来春、東京にて行う予定でおります。)

いかんせん、事実上知り合ったのが今年に入ってからでして、皆様も驚かれた かも知れませんが、誰よりもわたくし自身が驚いている様な状況です。

というわけでこの半年、ドタバタの連続でして、皆様へのご報告が遅くなってしまい ました。 今更ですが申し訳ございませんでした。 (念の為言っておきますが、「できちゃった」ではありませんからね)

尚、嫁さんになってくれる、という奇特な人は札幌生まれの札幌育ちなので、 これからは旅費だけで北海道スキーを楽しめるわけですが、もちろんそれが理 由で結婚したわけではないことは、この場において強く強調しておきたいと思 います。

(中略)

本メールの宛先のアドレスは過去のメールボックスをひっくり返して なんとか発掘したものですので、どれだけエラーで帰ってくるか、 ちょっと恐ろしいのですが、無事着くことを心から祈りつつ発信します。

戸川さん(旧姓 今井田)は九分九厘エラーになって返ってきそうな気がする。。。

最近、住所が変わられた、という方がおられましたら、住所を教えて頂けます と非常に助かります。 あと、「あのひとのメールアドレスも知ってるえ」と言う方がおられましたら 是非教えてください。

お仕事中失礼致しました。

今後とも宜しくお願い致します。

じひら@今シーズンは VolklのT50 Supersport ☆☆☆☆☆(Five star)を購入 しました。

--------------- 江端から地平氏へのリプライ ----------

さて、近年稀にない、このようなつっこみどころ満載のメールをどう料理しようかと考えていると、思わずオフィスで高らかに哄笑しそうなので、自宅に 帰るまで、ネタを溜めることにします。

6年の月日を経て、ようやく反撃、いやもとい、祝福できるのかと思うかと 思うと、こみ上げる喜び、もとい、慶賀を抑えきれません。

http://www.kobore.net/tex/alone96/node5.html

『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かぬ』 山本五十六長官

『やってみせて貰い、言って聞かせて貰って、させてみせて貰い、誉めて貰わ なければ、私は動かぬ』 江端智一研究員

--------------- 地平氏から江端へのリプライのリプライ ----------

江端 智(*1) 研究員様 何卒お手柔らかにお願い致します。

地平 茂(*1)

PS ちなみに今のところエラーメールで帰ってきたのは 今井田、三宅、東野、水上 の皆様でした。(この返信の宛先からは抜いています。) どなたかこの4名様の今のメールアドレスをご存知の方は ご連絡頂けると嬉しいです。

今井田、三宅の両氏の追跡は難しそうですが。。。
(*1)http://www.kobore.net/tex/alone96/node5.html

------ 江端から地平氏へのリプライのリプライのリプライ ---------

お待たせ致しました。 真打ち登場でございます。

Jihira> 実は風のたよりで聞かれた方もおられるかも知れませんが、

Jihira> 長年の独身生活についにピリオドを打ち、結婚することになり

Jihira> ましたので、ご報告させて頂きます。

我々の身内では、高らかに独身主義を標傍して憚らなかった奴から、纏まる という妙なトレンドが観測されておりました。

誰とは言いませんが、私の他では、女性2名など。

ところで上記の引用文、「長年の独身生活についにピリオドを打ち」の下りに、いささかの異議申立など。

上記表現は、あたかも著者が独身生活を自らの主体的意思で選択していたかのような誤解を読者に与えると言う点において、表現に瑕疵があると言わざ るを得ません。

プライドをかなぐり捨て、今の嫁さんに媚びて、ようやく結婚に至ることができたという、私の非常に親しい友人の友人の神経を逆撫でしたことは言うまでもありません。

ここは、

「一緒になって貰うために、地に這いつくばい、泥をすすり、自尊心を投げうって、彼女の足を舐めるような屈辱を経て、結婚を承諾して貰った」

と言う、自然な考察による自然な思考の流れから帰着する、当然の結論として合致する、なによりも、真実の記述をして貰わなければ、前記の私の友人は勿論として、我々としても釈然としないものがあります。

どだい、この程度の汎用的表現の塊からなる「結婚しました報告」を受理するほど、私は後輩に甘い指導をしてきた記憶はありません。 当然、「再提出」の一言で却下されるものであることは、何よりも本人が自覚しているはずです。

Jihira> と言っても、実は入籍は先月(11月3日)に済ませておりまして、今はもう

Jihira> 二人で暮らしております。(いわゆる披露宴的なものは、身内中心で

Jihira> ささやかに来春、東京にて行う予定でおります。)

ま、これは当人達の問題であり、回りがとやかく言うようなものではありません。

しかし、人生にはバランスと言うものがあるはずです。

様々な結婚式に出席し、その度にイベントあるいはスピーチで、新郎あるいは新婦の権威(有名私立大学を、優秀な成績で卒業し、後輩に慕われ、将来を嘱望されている)を、これでもかと言う程に、地に落し続けてきた、その当の 本人が

「ささやかに」

だとぅ?

甘いな。

我々がこのような暴挙を看過していると考えるのであれば、それは、アメリカのケーキよりも甘いと言わざるを得ない。

因果応報。 これからの長い人生を生きる、新しいカップルの為にも、単なる文字だけでなく、シンタックスだけでなく、そのセマンティックスまで骨の髄まで教えて やるのが、真の友人、後輩、そして先輩と言えるのではないでしょうか。

Jihira> いかんせん、事実上知り合ったのが今年に入ってからでして、皆様も

Jihira> 驚かれたかも知れませんが、誰よりもわたくし自身が驚いている様な

Jihira> 状況です。というわけでこの半年、ドタバタの連続でして、皆様への

Jihira> ご報告が遅くなってしまいました。今更ですが申し訳ございませんでした。

Jihira> (念の為言っておきますが、「できちゃった」ではありませんからね)

わかっております。

「できちゃった」

ではなく、

「できてしまいました」あるいは、 「主体的意思で作りました」あるいは、 「創作しました」あるいは、 「創造しました」

ですね。

私もかねがね、生命の神秘、および命の尊厳に対して、このような軽薄な言語で表現し、かつ公衆の良俗を逸脱する世間の振舞いを、普段より不快に思っておりました。

命とは、生命とは、「できちゃった」などで表現されるものでは断じてありません。 私の後輩が、かように礼を重んずる社会人になってくれたかと思うと、感涙の涙を禁じ得ません。

上記、確かに了解しました。

Jihira> 尚、嫁さんになってくれる、という奇特な人は札幌生まれの札幌

Jihira> 育ちなので、これからは旅費だけで北海道スキーを楽しめるわけ

Jihira> ですが、もちろんそれが理由で結婚したわけではないことは、この

Jihira> 場において強く強調しておきたいと思います。

無駄です。

このような弁明を信じるくらいなら、来年のノーベル賞に江端がエントリーされているというデマを信じる方が、相当真実味があります。

以上、後輩の晴れある将来と、その果てしない幸せな日々を祈って、心からのメッセージを送らせて頂きました。

では、お開きとして、結婚する人生と、結婚しない人生の両方を経験してきた、人生経験豊かな私から一言、申し上げます。

命を賭けて、嫁さんを守るのです。

さすれば、結婚は目も眩むほど楽しいものになります。

----- 地平氏から江端へのリプライのリプライのリプライのリプライ ------

遅くなりました。

およそわたくしの知る限り、みずから「真打ち登場でございます」 などと大上段に名乗って出てくる人は、2人しか知りません。

そのうちの一人は (遠い目をしてみる) 。。。

人の間違いは決して見逃さない鋭利な観察力を持ち、

自分の間違いは決して認めない鋼鉄の意思を持ち、

後輩に非常に厳しくあたる慈父の愛を持ちつつも、

先輩には下僕の如く仕えて尊敬の念を絶やさず、

見てもいない結婚式を「先ほど無事に結婚式を終えられた」と報告し(*2)、

名前という「記号」にはあえてこだわらずにその人の本質と向かい合い、

自らの権益を脅かすものに対してはMicrosoftの如く徹底的に戦い、

他人からの追求に対しては日本政府の如く徹底的に争点をぼかす。

政治家として生を受ければ一国の宰相となり、 経済人として生を受ければ財界を支配し、 文学者として生を受ければ文豪の名をほしいままにし、 研究者として生を受ければノーベル賞を受賞する。(しかも癒し系)

わたくちたちはその方をやはり愛していた、いえいえ過去形ではいけません。 愛しているのだと思います。 「よしこ」と呼ばれようが、「きくぞう」と呼ばれようが、はたまた「茂」と 呼ばれようが、そんな上っ面だけの記号ではなく、個々人の本質とつきあおう、 としてくれた先輩の存在ほど鬱陶しいものは・・・ではなく、有難いことはあ りません。

(*2)I嬢の結婚披露宴の時、司会の準備の為に結婚式に出席できなかった時の ことを言っているらしい

ですので、あえて突込みどころを残し、満載にしたメールに鬼の様に突っ込まれようとも、その愛が揺らぐことはありません。 いや、その愛はつのるばかり、と言っても過言ではないでしょう。

そんな愛の一端を、尊敬すべきその方の結婚式の場においてつたない言葉なれど、発露させて頂く機会を得ましたことはわたくしの人生におけるこれまでで は最大のハイライトであったと言っても過言ではないでしょう。

さて、くどいようですが、誰がなんと言おうが、この度わたくしは長きにわたる独身生活にピリオドを打ち、ささやかなる結婚式を来春東京にて挙げさせて頂きます。

このメールの宛先の皆様(届かなかった方も数名おられますが)を全員ご招待し たいのはやまやまなのですが、残念ながらそういうわけにもいかず、誠に心苦 しいのですが代表ということで首都圏在住の皆様をご招待させて頂きたい、と 考えております。

何卒ご了承頂きたく、宜しくお願い申し上げます。

幸い、一番うるさいのはアメリカにいるので丁度いいですしね。

え?

帰ってきてる?

うそ?

しかも首都圏?

うそ、あの人、名古屋人やん

ほんと?

えーーー

こほん

訂正

さて、くどいようですが、誰がなんと言おうが、この度わたくしは長きにわたる独身生活にピリオドを打ち、ささやかなる結婚式を来春東京にて挙げさせて頂きます。

このメールの宛先の皆様(届かなかった方も数名おられますが)を全員ご招待したいのはやまやまなのですが、残念ながらそういうわけにもいかず、誠に心苦しいのですが代表ということで首都圏在住で、かつ、ノーベル賞を目指していない方をご招待させて頂きたい、と考えております。

何卒ご了承頂きたく、宜しくお願い申し上げます。 (ぺこり)

以上、真打ちからのお礼の言葉でした。

駄文・長文の無礼をお許しください。 また、暖かいお言葉を送っていただいた皆様、心のなかでつぶやいていただいた皆様、本当にありがとうございました。 今後とも宜しくお願い致します。

じひら

PS 東野さん、水上、三宅、戸川さん(旧姓今井田)のアドレスをご存知の方、 その他、機器件の面々のアドレスをご存知の方がおられましたら、適宜転送し て頂くなり、わたくしにご一報頂けますととても嬉しいです。

それでわまた

(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおい て、自由に転載して頂いて構いません。)

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江端さんのひとりごと
「日本における野球文化に関する一考察」

エルカン、江端共著
2002/01/11

私は可能な限り、人が楽しんでいることに「ケチ」をつけることはしないように心がけています。

それは、私が楽しんでいることにケチをつけられるのが嫌であるから、おそらく他の人も同じ気持になるだろうと、容易に推測できるからです。

しかしそれは、この私に迷惑をかけるものでないことが前提です。

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私は冬と言う季節が好きです。

静謐で美しい風景、一面の銀世界、生命が息を潜めて雌伏する限られた期間であり、スキーと言う素晴しいスポーツが楽しめる季節だからです。

そして、何より「野球」と言う愚劣な習慣が、日本国から消滅する唯一の期間であるからです。

私は別に野球が嫌いと言うわけではありません。

むしろ、好きな方だと思います。

独身のころは、週末になると独身寮の近くにある草野球場までバイクを転がして、中学生たちのプレイを楽しく観戦していたものです。

素人愛好家チームのプレイは、下手な漫才より十分笑えると言う、数あるスポーツの中でも異色のエンターテイメント性を持つ優れたスポーツであると信じています。

ところが、この野球と言う優れたスポーツは、冬と言う季節を除いて「野球」と言う名の愚劣な日本固有の文化、あるいは商業習慣に転換され、それは、この私に滅茶苦茶な迷惑をかけやがるのです。

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プロ野球に見られるように、スポーツがショウビジネスとなるのは、別に自然なことです。

私は、アマチュア精神なんぞは興味ありません。

人間の持ちえる能力を余すことなく見せる、プロフェッショナル達の技は、私達に感動を与えてくれます。

マスコミが、マジョリティを中心として番組を構成するのは当然です。

ですから「プロ野球」の上映時間の枠が大きいのも仕方ないでしょう。

ですが、だからと言って、それらのショウが、自由気ままに上映時間を変更したりして、他のショウの邪魔をしても良いと言う理屈が成りたつ訳はありません。

何が腹が立つと言って、『スポンサーの御好意で、放送を30分延長いたします』と言う、これほど偉そうに構えた、傲慢な、むかつく台詞が、世の中にあるでしょうか。

大体、番組を延長するくらいなら、最初から固定枠時間で取っておくか、プレイボールの時間を早めればよかろうに。

殆ど例外なく放送延長することは判っているのに、恩着せかましく、何が「御好意」だ!馬鹿野郎!!「御迷惑」もいいとこだ!!

途中で雨が降ったり、早めに試合が終わったのであれば、あるメジャーチームの著名な監督の個性や振舞いを、とことんこけにして笑い者にする為に編集した、失礼無礼極まりない編集テープでも流していればいい。

少なくとも野球スポーツという世界で、あれ程貢献した方に対して、あれ程無礼なプログラムを編集するマスコミ、そしてそれを見て笑っていられると言う視聴者の頭の程度も知れたものですが。

たかがスポーツショウごときが、その後の番組のスケジュールを全部滅茶苦茶にするから、その結果として、予定していた自分のスケジュールも巻き添えくらわされるし、折角のビデオ予約は番組がずれこんで、みんなパー。

大体、自局のプログラムの時間管理もできんようで、よくぞメディアを標傍できるものだ。

少しは恥を知れ。

大体、マスメディアで、時間の厳密管理のできない野球と言うスポーツを、あえて放送するのであれば、テレビ局各局において、時間管理ができるように独自のルールを制定すればいいではないか。

「3アウト、チェンジ」の周回方式から、1回表裏共に6分30秒(9回で120分)をベースとして、変則ルールを作ってもいいだろう。

できないとは言わせない。

相撲を見てみて下さい。

相撲はその由来や歴史から見ても、全く時間の概念がないスポーツであったことは明白です。

しかし、日本大相撲協会が、多くの相撲ファンの反対の中にありながら、相撲文化の存続を賭けて敢えてメディアに進出し、現在のNHK&日本大相撲協会による厳密時間管理の制御技術を確立したことは、マスメディアの鏡であり、規範であり、模範であると、私は信じます。

『さあ、時間いっぱいです』

この一言に込められているメディアと相撲の融合の前衛的な文化を、時代遅れで無知性で愚劣で、おまけに、はた迷惑な「プロ野球」と言う商業習慣は、ほんの少しでもいいから、模倣するところから始めるべきです。

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さてここまでは、「プロ野球」という商業習慣を提供する側の批判でしたが、次は、それを提供される側から見てみましょう。

自分の贔屓のチームが勝てば嬉しく、負ければ悔しい。

当然です。

これは理屈以前の話であることは、私でも理解できます。

そもそも、その動機がなければ、スポーツを観戦すること自体の意味も分からなくなります。

金銭も利害も関係のない、純粋な応援。

これは人間の持つ、数少ない善なる資質の一つであるかもしれません。

しかし、世の中には、自分の贔屓のチームが負けると、翌日不機嫌になり、部下に当たり散らすような、上司が存在するそうです。

あるいは、子供に当たり散らす、父親や母親も。

決めつけて良いですが、こいつらは、馬鹿です。

上司、親として以前に、人間として失格です。

贔屓のチームに関する関心は、あくまで個人の問題であり、他人には何の関係もありません。

例えば、ある日、私が個人的に不快な目に合い、それが理由で他の誰かに当り散らしたりしたら、当然私は非難されて然るべきでしょう。

しかし、問題は、このような人間失格達の振舞いを許容する、日本社会の体質の方が深刻であり、私はとても心配です。

特に「プロ野球」に関しては、異様なほど甘い。

『プロ野球を語れん男は、男ではない』と決めつけた人がいるそうですが、この定義によれば、私は男ではないようです。

一体、どんなふうに理論を展開すればこんな結論に至れるのか、その精神構造も含めて、私は本当に知りたいです。

一方、プロ野球は、日本におけるコミュニケーションの重要な共通基盤となっているのも事実です。

例えば、「最近の巨人は駄目だね」と誰かが言った瞬間から、「最近の巨人は駄目」と言うスレッドで、会話は進行されなければなりません。

つまり、この手の会話は、問題提起を行なっているのではなく、一種の挨拶のようなもので、

「最近の巨人は駄目だね」=「やあ、御機嫌いかが」

「まったくだね」=「ええ、ありがとう」

と同義のようなものらしいのです。

何故なら、その会話の中に、どんな判断基準とどのような状況から「最近の巨人は駄目」と判断するに至るのかと言うような会話は、決してなされないからです。

加えて、本当に驚くべきことは、「最近の巨人は駄目」が例え単なる挨拶に過ぎないとしても、「最近の巨人は駄目」に関する共通的なコンセンサス(同意)が、一般的に得られていると言うことです。

これはかなり恐ろしいことです。

歴史的に見て、国民を同一のコンセンサスの下に統合することができたものといえば、太平洋戦争戦時下の政府の国威高揚政策くらいなものだと思います。

プロ野球のように、単純明解で、殆ど思考能力を必要とせず、好き勝手なことを吠えているだけでよいもの(勿論、プレーヤにとっては全く逆の立場になりますが)が、日常会話レベルに通用するコンセンサスを形成しているという

ことが示す事実は、

(1)プロ野球は、日本における真にコミュニケーションの重要な共通基盤である

と言うよりは、むしろ、

(2)その程度のものでしかコミュニケーションを測れないほど、日本人は話題が貧困である

と解釈するのが自然ではないかと思います。

これを納得するために、チャンスがあったら、次の様な実験をしてみて下さい。

「最近の巨人は駄目だね」

「どういう風に駄目ですか」

まあ、賭けてもいいですが、相手は絶句するか

「どういう風って、そりゃお前、駄目って言えば、駄目だろうがよぉ」

とこの程度の返事しかできないでしょう。

つくづく、知性のない会話と言わざるを得ません。

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さてここからは、「プロ野球」の結果を報知するニュースメディアいう観点から見てみましょう。

他のTV番組を見ている最中に「速報」のテロップが流れ、「ん?どこぞで選挙でもやってたか。それとも地震でも起きたのだろうか」と思って注視すると、『巨人X阪神2-0』。

確か京成電鉄の駅だったと思いますが、構内放送が大音量で流れるから何かと思えば、これまた野球試合の結果報告だったりする。

一つ目の事例は、「あなたはこのチャンネルを変えなくても、ちゃんと試合結果を報告するから、安心してうちの番組を見ていて下さいね」と言うメッセージでしょう。

二つ目の事例は、どうせ電車の待ち時間などでは、駅のインフラ(駅内放送)が遊んでいるんだから、乗客へのサービスとして、野球試合の結果報告でも流してみたらどうだろうと言う、小手技のサービス(ラッシュ時対応に車両を増強するとか、痴漢対策などではなく)で顧客のサービス好感度を上げようという姑息な手段であることは明白です。

しかし、そういうニュースメディアを利用する側(視聴者)も、全く理解に苦しむ行動をとります。

野球中継を見て試合結果を知った上、その判りきった結果をスポーツニュースで再確認し、更に翌朝にはスポーツ新聞で知り尽くした結果を再々確認しするプロ野球ファンの振舞いは、常軌を逸脱しているとしか考えようがありません。

複数のニュースメディアを利用する場合、私たちは、それぞれのメディアの主張を多面的に分析して、事実はどこにあるのか調べようとすることがあるかもしれません。

例えば、日テレでは「巨人勝利」と報じていたが、フジでは「中日がサヨナラ満塁」だとか、サンケイスポーツとニッカンスポーツでは結果が異なる、というのであれば、どれを信じていいか判らずにあれこれ見たり読んだりする、というのは納得できます。

しかし、どうせ同じ結果しか報じていないメディアを、どうして何種類も見るのか、全く不可解です。

なにより私は、あのスポーツ新聞メディアの、首尾一貫しない軽薄な論調が嫌いです。

シーズン開始時に「今年も最下位決定!監督更迭!?」と書き、シーズン終りに「信じていたぞ!我等の巨人!!」とよく書けるもんだと思う。

もし人間だったら、私は、こんな奴とは絶対付き合えない。

スポーツ新聞を愛読している人々は、よっぽどの「お人よし」か、・・・いや、まあ、「お人よし」と言うことにしておきましょう。

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さて、日本におけるタブーといえば、色々ありますが、「高校野球」もまた批判を許されないタブーの一つでありましょう。

ここで私が批判するのは、高校野球、そのものではありません。

批判どころか、私は高校野球は好きな方です。

これについては、後述します。

ここで「高校野球」(かっこ付)は、以後、

全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)

の中でも、特に、

甲子園球場で開催されているもの

を指すこととします。

あなたは、「高校野球」に出場している高校生が、どれくらいか知っていますか。

1チーム15人で49都道府県50チームで750人。

夏と春の両方を出場するチームもあるかもしれませんが、ここでは多めに倍と見積もって、最大1500人。

平成11年度の高校数が5481校で、その全部に野球部があったと仮定し、さらにその部員数も少な目に30人くらいとしてみましょう。

「高校野球」に出場できる野球部の高校生は、0.009122、1000人の内、わずか9人。1パーセント割っています。実際はもっと狭い門でしょう。

一方、日本の最高学府と言われる東京大学の学生数は15860人、大学院や浪人も含めたとして、少し少なめに6年分で割って見たとしても、2700人が毎年入学している訳ですよ。

甲子園大会出場経験者から見れば、東京大学の門など、全然広い。

甲子園大会とは、一回負ければもうおしまいと言う、実世界では考えられない程の苛酷な条件の戦いを生き残ってきた、すさまじい強運をたずさえたエリーの中のエリート、超スーパーエリート達だけで開催される競演です。

そんな「エリートの競演」なんぞ見て、本当に楽しいか?

私は応援する気にもならん。

繰り返しますが、別に野球が嫌いと言うわけではありません。

すでに述べましたが、私は、独身のころは、週末になると独身寮の近くにある草野球場までバイクを転がして、中学生たちのプレイを楽しく観戦していたものです。

「高校野球」の地区大会の楽しさ(できるなら初戦から3回戦までの観戦は特に良い)と来たら、あんなエリートの競演なんぞとは、到底比べものになりません。

- ガムをクチャクチャやりながらバッターを睨めつける、茶髪のピッチャー

- 軽く首を回した後、バットでレフトスタンドを差し、予告ホームランの仕草をするバッター。

- 三遊間の簡単なゴロを、リズミカルに調子を取りながら、きれいにトンネルするショート。

- 定位置のフライなのに、1-2塁間近くまで全力でダッシュして、エンタイトル2ベースにしてしまうライト。

- ゲッツーのチャンスがある度に、ファーストへの送球を暴投して、律義に相手チームに得点を献上するセカンド。

- センターに上がったフライを見て、かっこうを付けて早々と(??)に戻りかけたら、そいつが取りそこなって、慌てて定位置まで走りもどるレフト

- 盗塁しようとして、1-2塁間で足を滑らせて転ぶランナー

- 10点以上の点差があって、9回裏に、『ここから!ここから!』と連呼する監督

こんな面白いスポーツ観戦が、一体世界中のどこにあるでしょうか。

そして、日本における99%の野球と言うのは、このような本当に楽しいものなのです。

あの甲子園大会の高校生たちが繰り広げるプレイが、如何に超人的、超エリート的であるかは、テレビで高校野球とプロ野球を見て、えらそうにチーム監督の采配にケチをつけるおっさんなんかに比べたら、私の方が間違いなく理解している。

かたや、NHKの特集番組で、相手チームの投手の癖を、数台の高性能カメラで、徹底的に調べあげ、その対応の練習に余念がないバッテリーの姿を見ました。

金銭的な物量作戦的を、当の高校生だけでできるわけなく、金で雇われた専属の大人のスタッフが指揮しているのは、当然としても-----

涙が出そうなほど、「高校生らしい」

すがすがしいったらありゃしません。

まあ、それはさておき、ここで彼等が、打算や欲得抜きで一生懸命であると言うことは事実であり、そんな彼等のひたむきな姿が、多くの人に感動を与えるのだと言うことを、私は否定しません。

相当多くの人は、何かに一生懸命頑張っている人を見るのが好きです。

例えば、正月に行なわれる、箱根駅伝。

彼等が、心臓が破れるのではないかと思われるような地獄のような苦しみに耐えながら、険しい山道を走り、次の走者へと襷(たすき)を繋ぐひたむきな姿。

テレビ中継で、そんな彼等の姿を見ながら、こたつに入って、刺身を摘みながら、お屠蘇を飲みつつ、うたたねをする。

箱根の山道なんぞ、一生走ることも(多分、歩くことも)ない、正月にのみ許される、多くの日本人の優雅な時間、と言ってよいでしょう。

ちょっと話がずれましたが、それにしても「高校野球」の特別扱いは、度が過ぎていると思うのです。

そもその「高校野球」と、例えば「インターハイ卓球」と一体何が違うのでしょうか。

もっと極端なことを言えば、「高校野球」の出場者と「高校数学オリンピック」の出場者を、その質から比較してみれば、どちらもスーパーエリートであることには変わりありません。

どの高校生にして、ひたむきで一生懸命であると思うのです。

しかし、「高校野球」の投資額は、他の「高校なんとか」と比べて、比較にならないほど凄い。

10数年程前に、甲子園常連高と言われている野球部の維持費が、年間5000万から一億、と言われていたので、今は軽く2~3億くらいにはなっているでしょう。

甲子園の一日利用料金が幾らか分かりませんでしたが、1999年のオールスターの入場者数が11852人、売上が50億3121万7000円。

まあ、これは特例としても、一日あたりの売り上げが2億4048万円だそうですから、高校野球の為の球場使用料も大体、一日億を単位として、20日弱で20億円くらいか。

一試合あたりの観客動員数を5000人と見積もって、一日4試合2万人。

地方からの応援の移動コストをかなり低く見積もったとして一人往復2万円としても、延べ観客動員数250000人で50億。

NHKが「高校野球」の中継にあたる時間、どのような番組作成も必要とせず高視聴率を取れること(そして、受信料支払の強力な根拠とすることができること)、民放が、「高校野球ダイジェスト」のような番組で、スポンサーからどれくらい金を取っているのかなど、「高校野球」が、経済効果抜きで考える脳天気な人間もいないでしょう。

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世間擦れした大人の手垢のべったりついた「高校野球」を作っておいたくせに、日本高校野球連盟の馬鹿さ加減には、ほとほと飽きれてしまいます。

野球部員の一人が喫煙したことがばれて、そのチームが甲子園出場の辞退を余儀なくさせられた、と言うニュースをよく聞きます。

喫煙がいかんと言うのであれば、その喫煙した一人が出場を辞退すればよかろうに、なんでチーム全体が巻き添えを喰らわねばならん。

連帯責任などと言う愚劣な考え方が、全体主義的でファッショであり、かつ民主主義的な物事の捉え方から外れていることなどは、近代民主主義社会の常識中の常識。

ちょっと知性のある人なら分かりそうなもんです。

日本高校野球連盟を構成する方々は知性のない面々、と決めつけてよさそうです。

平成4年夏の甲子園で、明徳義塾高校が星稜高校の松井秀喜選手を5打席連続敬遠したことについて、当時の日本高野連会長のなんとかと言う奴は、以下のように語ったそうです。

-----走者がいる時、作戦として敬遠することはあるが、無走者の時には、正面から勝負して欲しかった。1年間、この日のためにお互いに苦しい練習をしてきたのだから、その力を思い切りぶつけ合うのが高校野球ではないか、云々-----

この記事を読んだ瞬間、私が真っ先に思ったのは、

『もし、こいつが、(公的な)日本高野連会長として発言しているなら、本当の馬鹿だ』

と言うことです。

腐っても、日本高野連会長ともあろう人間が、こんなコメントをしたら、

「高校野球」の監督や選手達は、一体どうやって試合を闘えと言うのか。

『この敬遠は、高校生らしいだろうか』

『この牽制球は、高校生らしい投げかただっただろうか』

『そもそも、「高校生らしい」って何だろう』

これは、野球の領域ではなく、哲学か、そんなによいものでなけでば、大衆心理学の分野です。

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私の得意技は、テニスボールの上側を擦ってドライブ気味に強打するサーブです。

これが、相手の正面付近でバウンドすると、レシーバから見ると突然左に曲がるので、フォアハンドに回っていたレシーバは、バックハンドへの切り替えができずに、リターンを返せなくなります。

サービスエースです。

私は、私のこのサービスが返せない選手ならば、試合中、全部このサーブを打ち続けます。

-----相手がいる時、作戦としてそういうサーブを打つことはあるが、ストレートでセットカウントを取っている時には、癖のないサーブで勝負して欲しかった。1年間、この日のためにお互いに苦しい練習をしてきたのだから、その力を思い切りぶつけ合うのが高校テニスではないか、云々-----

と言われたら、私は、「あんた、正気か」と問い返すことでしょう。

試合とは、全力を尽して、敵を「負かす」ことで、ルールと言うのは、それさえ守っていれば何をしても良い、と言うものです。

ある試合が、たまたま「すがすがし」かったり「感動」したりすることもあるかもしれませんが、選手達は、観客を「すがすがし」くさせたり「感動」させたりする為に闘っている訳ではないのです。

それは、観客の思い上がり、と言うものです。

そういうものが欲しければ、そういうことを目的としたコンテンツは、世の中には履いて捨てるほどあります。

選手達に、下らない観客の思い上がりを押しつけるものではありません。

「選手宣誓でうたった高校野球精神を踏みにじる行為」

「子どもの教育に悪影響を与える」

「5回とも敬遠というのはやりすぎだ」

はははは。

お前たちの中にだけある、幻想の『高校生らしさ』なるものを追いかけて、死ぬまで言っていろ、馬鹿野郎めが。

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さて、実は、まだまだネタはあるのですが、文字通り切りがないので「日本における野球文化に関する一考察」に関する本エッセイは、以下の私の提言を持ちまして、終了したいと思います。

(1)野球中継に関しては、その時間、内容に関して一切の文句を言わないので、終了時間を明確にすること。

(2)「高校野球」に関しても、あまり多くの注文はしないが、「高校生らしい」高校野球を見たいのであれば、まずそのチームの監督を大人にやらせることを全面撤廃し、その学校の野球部の部員にやらせるのこと。

なんで「高校野球」の采配に、いい年したおっさんがしゃしゃり出てくるの、と思っているのって、私だけですか?

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、転載して頂いて構いません。)